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りっとう再発見
鍋釜のほか、梵鐘など金属製品を鋳造する技術者たちを鋳物師といいます。江戸時代、辻村(現在の栗東市辻)の鋳物師は、北は出羽(秋田県)から南は周防(山口)まで全国各地に出職・出店して活躍していました。
なかでも、寛永17年(1640)、江戸芝田町に、その後、深川に出店した田中七右衛門と、いとこである太田六右衛門の二人は、釜七・釜六と呼ばれるようになり、代々にわたって鋳物業を営みました。享保2年(1717)には、ともに幕府の「御成先鍋釜御用」を命じられ、辻村を代表する鋳物師として知られるようになります。彼らの名は、江戸時代後期の長者番付にもたびたび見られるようになりました。
釜六の代表的な作品には、像高2メートル以上に及ぶ回向院(東京都墨田区)の銅造阿弥陀如来坐像、浅草寺(東京都台東区)の時の鐘と呼ばれる梵鐘などがあります。鍋釜などだけでなく、複雑な形状をもつ仏像などにも高い技量を示していたのです。
井口天神社(栗東市辻)には、元禄7年(1694)につくられた銅製の鳥居があります。関東に出店した氏子55人を含む総勢232人の寄進者の名が刻まれる、辻村鋳物師の記念碑的な作品です。ここには「御鋳物師并大願主」として田中七右衛門と太田六右衛門の名が見え、江戸深川にて鋳造され、辻村まで運ばれたものです。
さて、このように高名であった釜七と釜六ですが、地元にはこの井口天神社の鳥居を除くと、彼らの作品の所在は知られていませんでした。
このたび井口天神社から、享保16年(1731)に「太田近江」こと釜六が寄進した鉄湯釜と「江戸深川田中氏」こと釜七が願主として宝暦13年(1763)に奉納された鉄湯釜が見いだされました。これを機に、釜七・釜六についての理解がさらに深まることを期待しています。
栗東歴史民俗博物館では、5月31日(土)〜7月13日(日)までテーマ展「辻村鋳物師の世界」を開催します。
問合せ…
栗東歴史民俗博物館 TEL.554-2733
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